第53話 霊と戦っちゃいけないと思う
先日、ネバーエンディングストーリー2をビデオで観ました。
1を随分前に観て2は初めて観たんだけれど、
「やっぱり1の方が良いなぁ・・・・」と感じながら観ました(笑)
このネバーエンディングストーリーではきっと伝えたい事が2つあったんだろうと思う。
勿論、人によって感じ方はそれぞれだけど・・・・
Wish(望み)が叶うとひとつずつ過去の記憶が無くなっていき、最後には自分が誰で何の為に何をしてるのかすら判らなくなってしまう。
これって、実社会で全くその通りだと思う。
普通はWish(望み)って単語は、日本語でも英語でも"良い事"として使われるんだけど、それが望みでも希望でも期待でも欲でも、とにかく何かを手に入れる為には何かの代償が必要になるという事をつい忘れががち・・・・・。
日本語字幕ではなんと訳されていたんだろう?
やっぱり[望み]かな?
特に社会の中で地位が上がっていく人たちでそういう人を沢山目にして来た。
最初はみんなに慕われていて、約束を守る事やいろんな人にとても気遣いをする優しい人だった。
いつの間にか会社がどんどん大きくなって、言ってる事とやってる事がチグハグになって来て
みんなに慕われてた頃に自分が言った事をことごとくくつがえす行動ばかりを取るようになって・・・・。
ひとつWishが叶う事で、ひとつ過去(の自分)を忘れて行く。
そんな人を沢山見てきた・・・・・。
53話で書きたいと思ったのはそんな事じゃなくて(笑)
このネバーエンディングストーリーの最後の部分で、
ファンタジアを救う為に最後に残ったたった一つのWishを[Emptiness(空虚)]という名の魔女に向かって
「I wish you have heart」と言うとこの魔女 Emptinessが苦しみ出して居なくなってしまう。
Emptiness(空虚)は破壊する事は出来ない。
Emptiness(空虚)は満たされる事でEmptinessでは無くなる。
とっても当たり前の事で、とっても大切な事だと思った。
つまり僕が言いたいのは、
この映画を観て、霊のお祓いとか霊退治とか、いろいろな方法と色々な職種(?)が居るだろうけれど、一番大切なのは
Emptinessに対してFill in (注ぎ込む)する事なのじゃないかなという事を思い出した。
壊れないもの(既に壊れたもの)と戦っても意味が無い。
ドラキュラに十字架とニンニクみたいな、インスタントな方法は無いのではないかと思う。
霊への対処の方法は戦う事ではなく、消滅(成仏?)してもらう事なのではないかと思う。
マイナスに対しては同量のプラスを与えるとゼロになる。
霊にとりつかれた(と思われる)人や、自縛霊(と思われる場所)を退治するのを職業としてる人たちも居るし、
普通の人も霊につかれた時(らしいと思われる時)には「どうやったら居なくなるか?」「誰にお祓いをしてもらうか?」とその霊を(自分からあるいはその場所から)引き剥がす対策を考慮すると思う。
怒りのエネルギーに怒りで対処するとそのぶつけた怒りは逆に彼(?)のエネルギーになって増大するとも思う。
霊は退治したり引き剥がしたり("除"霊ってそんな意味じゃないかと思うんです)するものじゃなくて、
マイナスに対してプラスを注いでプラスマイナスゼロにして上げないといけないものじゃないかと思うんです。
マイナスのエネルギーにマイナスのエネルギー(怒りや嫉妬や嫌悪や憎悪)をぶつけると、自分もその霊のエネルギーと同調してしまうのじゃないかとも思うんです。
その事(霊のマイナスエネルギーと同調する事)の方がもっともっと怖い事だとも思う。
霊に憑かれたら、決して戦ったり恐れたり嫌悪したりしてはいけないと思う(難しい事だけど)。
その霊が欠如している(と思われる)優しさや愛情や安らぎや安心感やそういったものでFill upして(満たして)上げなくてはいけないんじゃないかと思う。
それは霊の為でもあるけど、自分の為にそうすべきだと思う。
相手が生身の人間の時でも、その人がとてもいやな奴だとしてもそのいやな奴と口論してる自分の顔はとてもいやな顔をしてると思う。
つまり、霊に嫌悪感や恐怖や怒りをぶつけてる自分は、生身の人間と口論してる時の自分と同じようないやな顔をしたいやな奴になってると思う。
それはきっといやな奴と"戦う"からだと思うし・・・・・・。
霊と同じエネルギーを人間もいつも持っているのだと思う。
霊が安心して満足して消滅するか、どんどん強烈になって行くかはもしかすると自分の鏡なのかも知れない。
それにしてもネバーエンディングストーリーは奥が深い映画ですね(笑)
