第59話 アイデンティティの喪失
これも霊の話ではないのですが・・・・・(期待している人はごめんなさい)
何年か前に、知人から
「最近、自己の喪失」という事がいろいろな場面で話題になっているのですが、そちら(アメリカ)だと『Identityの喪失(欠落)』というような言い方になるのでしょうか?」
というようなメールをもらったのです。
僕もそんな言い方だと思っていましたし、
「身分証明書」は「Identification Card(ID Card)」とか単に「Identification(ID)」とか言いますし、
「あんた何者?」なんて時には(実際にはもっと硬い公式な言い方ですが)
「Identify yourself」なんて言い方もします。
そうは思っても、他人に伝える以上は間違えると恥ずかしいので(笑)、一応Identityという単語を辞書を調べてみました。
確かに「同一であること、本人であること(の証明)、身元」なのですが、何かがちょっと違う気がするんです。
関連語としての「Identical」は「同一、等しい」なんです。
つまり「Identification」なんかも、「同一性(本人である事の)証明」なんですね。
でも、「Identity」には「Individuality(独自性、個性)」と意味も含まれているんです。
どうして、「同一性」が「独自性」の同義語なのかなぁ?って考えると面白いと思いませんか?
僕は国籍上は日本人です。
でも、オリンピックで日本とアメリカが決勝に残ったらきっとアメリカを応援すると思います♪
この状態は既に国への帰属意識という部分でのIdentityの喪失でしょうね。
僕は会社勤めをしていません。
でも、仕事上「XX会社の都築です」と自己紹介したり、ちゃんと名刺も持っています。
人事データ上では「準社員」とか「嘱託」という形でまだ載っているかも知れません。
僕は仕事の上でのIdentityも確実に喪失しています。
気持ちの上ではその会社の一員なのですが、一緒に仕事をしてる人たちが同僚なのか部下なのか上司なのかは非常に曖昧な状態で仕事をしています。
妻Micheleは、アメリカ人の父と日本人の母の元に東京で生まれました。
7歳まではアメリカ人の父親とも接していたし、他のアメリカ人の子供たちと遊んだりもしていたようですが、その後の彼女の人生の大半は普通の日本人と変わりない生活を日本で過ごしています。
日本で日本語を日常語として育ち、アメリカ国籍の彼女が、日本を離れてアメリカで暮らすようになってからはきっとIdentityがかなり崩れているはずだと思います。
日本に居た時は、国籍や容姿から(都合の良い時に・・・笑)時々
「私、外人です」と言えていた訳ですが、アメリカで暮らすようになって今度は逆に
「私、(意識や母国語や生活慣習が)日本人です」と言わなくてはいけないのですから・・・・・・
つまりIdentityなんて、喪失しても良いんじゃないだろうか?
そう思うんです。
ただ、Identityに頼っていた方が楽だという事は確実に言えると思います
(Identityを喪失している僕が言うのですから確かです・・・笑)
「僕は日本人です♪ニッポン万歳」(あるいはその逆)って言えた方がずっと楽だし、
「どんなお仕事をなされてるんですか?」と尋ねられた時に(こういう機会はとても多い)
「XX会社の人事部で社員教育を担当する部署の課長です」と言えた方がなんと楽だろうか・・・・
これは他人との受け答えだけじゃなくて、自分自身にとっても、とても楽だと思います。
「自己」に当たる英単語は正しく(?)は「Ego(エゴ)」になると思います。
ただ「エゴイスティック」や「エゴイズム」が一般的には極解されて「利己主義(者)」と認識されているので、誤解無しには「僕はエゴイズムを信じ、エゴイスティックを通しています」と大きな声では言えない環境になってしまっていますよね(苦笑)
もっとも僕は『例えどんな聖人君子であっても利己主義であるし、本来はそうである事を認識すべき』という説も持っているんですが・・・・。
つまり「川に溺れた犬を助ける為に自らをかえりみずに飛び込む瞬間は、確実に利己(偽善という意味ではなく)からの行動である」という意味なんですが・・・・。
ですから「世の中には偽善も本当の善(?)も区別なんて無い」とも思っています。
(つまり『善なんて無い』という事になるんですけど)
それはともかく・・・・(笑)
Ego(エゴ)という単語があまりにも極解されてしまって使いづらくなっているので、前のどこかでも書いたんですけど、僕はCore(核)という単語をそれに代用したいと思っています。
(『あんたがどんな単語を使おうがわざわざ宣言するこたぁない・・・勝手に使えば?』と言われたらそれまでなのですが・・・・笑)
そして、このCore(核)は、実は極悪非道人も聖人君子も小学生もおじいちゃんもお坊さんも神父さんも刑務所の服役者も軍人もが、同じモノなのではないかと思っているんです♪
実は、軍人というIdentityで、日本人というIdentityで、母というIdentityで、隠れてCoreが見えなくなっている状態なんじゃないかとも思っているんです。
Identityで見えなくなっているけれど、
実はCore(正式な言葉ではEgoなんでしょうね)は、すべてがIdenticalな(同じ)「何か」なんじゃないかと思うんです。
(この文でのIdentityとIdenticalは、言葉の洒落:語呂合わせ:で使ってます♪)
だとしたら、Identityを喪失する事は「自己喪失」とは大きく違い、逆にIdentityを喪失する事によって本物の自分に出会える可能性が出てくると言うことになるだと思うんです。
ただ、僕の言うCore(核)は、誰もが同じもので(隠れ具合が違うだけ)、僕のCoreもお釈迦様のCoreもキリストのCoreもナポレオンのCoreも、ヒットラーもリンカーンも同じモノという意味ですから、「自己」とはまたちょっと違ってくるかも知れませんね。
あぁ、今回は霊の話じゃなくて、核の話だった・・・・・(汗)
でも、霊の話とどこか共通してません?
