第77話 夢を叶える
時間移動と世界線移動の話は尽きないのですが、これもジョン・タイターの出現によって、彼が100%大嘘つきだという確証が無い限り、少なくとも僕の中ではパラレルワールド(多世界)が存在する可能性が認められた事になるわけで、思考の広がりを持てる事にとても感謝しています。
時間移動にはあまり興味がないのですが、世界線移動にはとても興味があります。
と言うのは、世界線移動をする事で全く別な生活をしている僕を見る事が出来るようになると思えるからなんです。
少年期の頃の僕は、弁護士になりたいと夢みたり、自動車の設計をするエンジニアになりたかった事もありました。中学か高校の教師になりたいと思った事もありますし、白バイ警官になりたかった頃もあります。
そう言えば野球の選手や相撲の力士、政治家、銀行員、芸術家になりたいと思った事は無かったですねぇ・・・。
世界線移動が可能だとすれば、日本で学校の先生になっている僕や弁護士になっている僕、アメリカに来てからあの時にあそこであれをしなかった僕・・・・いろんな僕に会う事が出来るわけです。
つまり、自分が夢見た自分に会う事が出来るって事なんですね。
勿論、それで夢が叶ったというわけじゃないんですけど、弁護士になっている自分や学校で先生をやってる自分、白バイに乗ってる自分とかを見るだけでも何とも複雑な気分になるような気がします。
23話で、ショットガンを持った強盗に遭い、引き金にかかった指が震えているのを見た時に人生の終りを覚悟した時の事を書きました。
その時、本当に人生の終わりだと確信しました。
「乗ってる飛行機が揺れて怖かった・・・人生の終わりだと思った」とか「海で泳いでいて急に足がつって、もう駄目かと思った!」という程度ではなくて、
「乗ってる飛行機のエンジンから火が出て、旋回しながら急降下している最中」という、あと数秒後に自分が死ぬという確信を持っているという感じでした。
その時に、僕は走馬灯のように一瞬で頭の中を駆け回る人生の記憶を見ながら「あぁ・・・結構良い人生だったな・・・もう一回やっても良いな」そう感じたのを鮮明に覚えています。
良い映画って、観終わった後に「もう一回観ても良いな」って思うじゃないですか・・・あれと似たような感じでした。
ストーリーや展開が判っていても、それでも全く同じ映画を何回も観たりしますし、同じ本を何度も読んだりします。
そんな感じで、ストーリーが判っていてもまた全く同じ人生をもう一回やっても良いなって感じたんですよ。
そんな僕でも、心のどこかに「もし、教師になっていたら・・・」とか「もし弁護士になっていたら・・・」とか、「アメリカ移住後に早めにアメリカ国籍を取得して警察学校へ行って白バイに乗っていたら・・・・」とか思う事はあります。
もっともっと具体的に「あの時にあの会社を辞めていなかったら・・・」とか思う事もあります。
きっとそんな生活をしている僕が他の世界線上に沢山居るわけです。
そんな『僕』に一度会ってみたいような気がしています。
お互いに話をしたらもっと興味深いでしょうね
なぜか、それぞれ別な生活をしているあっちの僕たちも、胸元に突きつけられた銃が震えているのを見て「あぁ、結構良い人生だったな。全く同じ人生をもう一回やっても良いな」と感じるんじゃないかと思っています。
「良い人生だったな・・・もう一回やっても良いな」って思える基準って何なんでしょうね?
弁護士の僕も学校の先生をやってる僕も白バイ警官の僕も、それぞれもう一度同じ人生をやっても良いなって思えるとしたら、楽しい人生だったなって思える基準って・・・・何なのでしょうね?
もっとも、一度観たのに何度でも繰り返して観れる映画の基準ってのも良く判っていないですが・・・・
別な世界線上で別な生活をしている自分を見てみたいと思いつつ、あっちの自分はそれぞれみんなが「もう一回同じ人生をやっても良いな」って思いながら生きている事を願っています。
