第92話 自分ではない自分?
先だって、ご自分の不思議な話をご紹介したいと、Qさんという方からメールを頂きました。
メールを頂いて何度か読み直してみたのですが、どうも僕にはどこが不思議なのかピンと来ないんです。
そこで、失礼ながらご本人に再確認させて頂きました。
僕らはつい不思議な話に怪談話みたいな「オチ」を探してしまうんですね。
ところが、「自分はどうしてこんな事をしているんだろう?」と感じる行動を取っている事、それ自体が本人にしてみると充分に「不思議」なんです。
これって結構見落としがちな「不思議」で、日常でいつも起きている事だったり、偶然や気まぐれや理由の無い無意識と区別出来ない「不思議」である事も多いと思うんです。
ただこの、本人が「どうして自分はこんな事してるんだろう?」と思いながら何かをやってる時って、ある意味では自動書記とか、ピアノなんて触った事も無い人が突然見事にピアノを演奏し始めるとかというのと共通する何かがあるのかも知れません。
Qさんの体験談は2つあります。
2つ目(93話)はきっと判りやすいと思います。
こちら(92話)は、つい見落としがちな(あるいは、本人にしか感じられない不思議さ)の方です。
【 Qさんからのメール】
1998年頃の話です。
その頃、私は大学へ通うため、実家のある県の隣県で一人暮らしをしていました。
息が白くなる季節に、私はいつものように帰省しました。
実家の辺りは寂しく、一番近い駅からバスで数十分かかるような場所でした。
ひとつバス停を通り過ぎると、次のバス停まではかなりの距離がありました。
そんな場所なので、降車のタイミングにはいつも充分に注意を払い、
普段誤ることはありませんでした。
しかしその回はなぜか、私は降車ボタンを押し損ねてしまいました。
そのため私は寂しい道を、バス停ひとつ分いつもより余計に歩きました。
街灯の少ない田舎道を歩いていると、路上に光るものが見えました。
近寄ってみると、それは銀色のメダルのようなものでした。
私はなぜかわかりませんが、それを拾いました。
うまい説明がみつかりませんが、それが「自然なこと」のようだったからです。
そうして私はやっと実家に着き、そのことを忘れてしまいました。
次の日父母から、父方の伯母がよくない状態で、入院していると知らされました。
とても親切な人で、家族で遊びに行くと、始終もてなしてくれるような人でした。
伯母は以前から、半身の一部に麻痺がありましたが、
重篤な状態ということは、その時初めて知りました。
私たち家族は、伯母が入院している病院にお見舞いに行きました。
出発の時、またなぜか、銀のメダルを思い出しました。
またどうしてかわかりませんでしたが、それを持っていくんだ、と思いました。
その後は特に変わったことはなく、病室に着きました。
伯母の家族はとても悲しんで、泣いていました。
伯母に意識はなく、気管に管が取り付けられ、苦しそうな息の音が聞こえていまし
た。
私も伯母に、挨拶をしようと近づきました。
私は自然と、伯母の手に、銀のメダルを握らせました。
そうすることが、自然だったからです。
その直後に、伯父が伯母の手を握りましたが、メダルには気づかないようでした。
その後も変わったことはなく、その日が終わりました。
その時の私自身、何か変なことが起こっていることは、自覚がありました。
それも、かわいがってもらった、伯母に関わることです。
これが何かの奇跡だったら、そう思わずには居られませんでした。
・・・
それから一週間と経たない快晴の日、伯母は息を引き取りました。
葬儀の日も、空はよく晴れて、気持ちの良い天気でした。
葬儀の時に、部屋に掛け軸が掛けてありました。
そこには、13人の仏様が描かれていました。
一番後ろの13人目は、火炎を背負っていました。
それは、銀のメダルに描かれた模様の人物と、よく似ていました。
(後で調べたところ、十三仏というそうです)
不動明王の姿でした。
火葬場で煙が上っていく時、伯母も天に昇ったように感じました。
悲しみも含めて、感情はほとんどなく、
ただ安心したような、安らかな気持ちを感じていました。
・・・
一連の出来事に関して、ある視点から見ると、
科学的に証明できませんが、私が伯母の死に関与したように思えます。
ご遺族の方の思いを考えると、複雑な心境もあります。
ただ、後から考えますと、このようにも思えてくるのです。
伯母は、ご家族の皆様から大変愛されていました。
体がしんどくなっても、なかなか逝けなかったのかもしれません。
そこで、後押しが必要だったのかもしれないと。
私などが心配しなくても、伯母は、美しい天国で幸せにしていると。
今でも、そんな気がします
