第98話 天国を旅するスーザン 2
第94話で、天国を旅するスーザンからのメッセージの第15章が、まるで別人が書いているのではないかと思うような違和感があったので英語版を読んでみたいと書いたのですが、これは翻訳をなされた杉本広道さんの名誉の為にも、決して「誤訳ではないか?」と思って英語版を読もうと思ったわけではなく、英語と日本語の微妙なニュアンスの違いの『微妙な部分』を原文から読み取ってみたいと思った次第です。
英語版(Guided Tour to the Afterlife)が届きました。
杉本さんは15章も勿論他の章も大変丁寧に正確に訳されているとつくづく感心しました。
でも・・・・僕にはやっぱり英文の方が『感覚的に』『なぜか』しっくり来るんです。
これは単に、僕個人の感覚的なものなのでそれはそれで仕方ないかとも感じています。
(さすが弁護士だけあって、死んでからも法律文章に多用されるような言い回しや単語が出てくるのには笑っちゃいますが・・・笑)
これは、ひとつには僕自身が最近気になっている、「地球の5次元化に対して宇宙の様々な星から応援が来ている」という説に対する過剰反応で、地球・宇宙という日本語に過敏(違和感を感じてしまう)という部分もあるのかも知れないと思っています。
確かに僕自身、最近は多少「スピリチュアル系日本語」にアレルギー症状が出始めている事は感じていますが・・・。
僕は、彼女(や他の多くの英語圏人)が言うところの宇宙(Universe)は、3次元上での天体としての銀河系とか太陽系とかアンドロメダ青雲とかという『宇宙』を指しているのではなく、もっと抽象的な日本語で言うところの(訳者杉本さんも使われているように)森羅万象というか、広い意味での『世界』を指しているのではないかと感じるんです(単に僕はそう感じるというだけです)
そして、地球とかあなたたちの住む惑星というのは、物体としての地球というよりも、あなたたちが立ち歩き食べ空気を吸っている三次元上の地(=地球という惑星)という意味で、3次元世界(物質世界)の代名詞として使っているようにも感じるんです。
(勿論、これも単に僕はそう感じるというだけです)
だから、精神社会で宇宙と言った時には、地球も地球の外の天体(天文学上の宇宙)も、同じ物質世界と捉えられるのではないかと(単なる3次元世界での地理上の範囲でしかない)感じています。
スーザンが彼女の世界から地球を見る時に、アームストロング船長が月から地球を見た時のように地球を見ているのではなく(それであれば単に同じ3次元上の月から3次元上の地球を見ているだけです。それがどんなに遠くの星からであっても距離の違いというだけで同じ事でしょう)
彼女が彼女の世界から地球を見ている時は、ズームやパンなど遠隔操作が可能な防犯カメラに映った映像をモニター上で見ているような、巨大スクリーンに映し出された3Dゲームを見ている様な、そんな状態なのではないかと思います。
それは、地球とか火星とか冥王星とか何とか青雲の何とか星という、同じ3次元上の宇宙のどこかから見ているという事では決して無いと思っているんです。
先に書いたように、スーザンの言ってる内容は、(誤解されるのを覚悟で書くと)自分が書いたのではないかと感じるほど、全く違和感無く共感を持って入ってきます。
一種、同郷の人と昔話をしている時のような、同僚と会社の話をしているような、擬似同一感とでも言うのか、そんな感じがする程です。
スーザンが話す内容は、ほぼすべてに置いて僕がいままでずっと感じてきた事、書いてきた事と共通するのですが、多分他にも沢山の人たちが主張してきた事と共通する内容だろうと僕は思っています。
『もともとこの世に善と悪という区別など無い』という事に関しては、小乗仏教思想やチベット密教でも同様の事が言われてきたと思います。
スーザンの言う、「私の居る世界」と「もう少し上の世界」というのは、様々な宗教がそれぞれ独自の呼び方でそれを表していると思います。
ただ、困るのはそれぞれの宗教が自分たちが定義した単語が他の宗教や無宗教の人たちにも通じる単語だとして使っちゃう事ですよね・・・・これはモンロー教に関しても同じだと思います。
モンロー氏の提唱する事には異論は有りません。ただ、モンロー氏門下の方々がフォーカス27とかフォーカス35とかモンロー用語を一般人に使ってしまう事ですよね。
これは、仏教家がキリスト教徒と話をしている時に、涅槃とか煩悩とか修羅界などという単語を「当然のように」使う場合と似ていると思います。
面倒でも「我々がXXXと呼んでいる、あなたたちの言うところのYYYに近い世界」などと言うのが、相互信頼や相互の尊重という意味で必要なのではないかと感じています。
自分、自分たち、あるいは自分たちの教祖様(モンロー氏も含め)の『仮説』が絶対真理だという前提で話をすると、これはキリスト教徒とイスラム教徒の宗教論みたいに、前進しないお互いの独りよがりに陥ってしまう危険性が高いような危機感があります。
えーと・・・話が逸れました・・・・なんだっけ
そうそう、もともと善と悪という区別など無い・・・・きわめて同感です。
自分が心に描いた(欲した)ものが即座に現れる、でも実際にはそこには何もない・・・
これなんかも、有名な般若心経の色即是空空即是色にめちゃ共通していると感じるのは僕だけじゃないと思います。
確か、小学生の頃だったと思いますが、僕も「人間って無から生じて無へ帰るんだ・・・」「でも、その無というのは、何も無いのじゃなくて、逆に『全て』であって・・・・」なんてわけの判らない感覚があって、それを中学生の頃に言葉で(理論で)自分に理解させるにはどう言えば良いのだろうと考えてしまって一種のノイローゼ気味になった事すらあります(笑)
いや、今でも言葉では言い表せません・・・(汗) 小学生の僕がそんな事を言葉で言い表せたとしたら天才ですね(汗)
人間よりも動物(人間以外の動物)や岩の方が高度な精神レベルに居るという事・・・・これも僕もずっとそう思ってきました。
それは、多分人間が経済力や名誉などというものを尺度にして人生を計っているというだけではなくて、多分『善悪』などという存在しないものに(心が)縛れている事も影響しているのではないかと感じていました。
森を救おう活動や、鯨を救おう、地球の温暖化、etc、etc・・・・スーザンも15章か16章で言及してますけど、これらってそれぞれの立場や考え方によって価値が違う、全体的には無意味なものですよね。
特に「捕鯨は非人道的な行為であるので、いかなる手段を使っても、人間を傷つけてでも、法律を無視しても阻止しなくてはいけない行為だ!」と唱える某集団の価値観(善悪価値観)は、単にある一部の集団の価値観であり、それを力で他の集団に押し付けようとしているだけだと言うのは、日本人には判りやすい例なのではないかと思います。
それを、(生前はアメリカ人の)スーザンが言い切ってしまえるのも、死んでしまって一段高いところから冷静に全体を見ると「あんたら、ただ単に自分の主義主張を他人に押し付けようとしているだけやん・・・」という部分が見えてくるんでしょうね。
これは、同時に一部の宗教家やニューエイジ系、スピリチュアル系の人たち、そしてその対極の人たちにも言えることの様に感じています(最近は特に・・・)
パラレルワールドにしても、「やっと同じ土俵で話が出来る人が見つかった♪」と、なんだかとても嬉しくて、出来れば膝をつき合わせてお茶でも飲みながらゆっくり話をしたいと思ったほどでした(笑)
ひとつ、スーザンから新しい発見を教えてもらったのは、「しかし、今再び戻ってみると、少なくとも私のすべてが完全に「我が家」を離れていたわけではないことがわかるのです」
” I realize I never truly left home at all, or at least not all of me."
杉本さんの翻訳は大変正確で丁寧で素晴らしいと感じています。
ただ、僕は「しかし、今再び戻ってみると、実は私は家(非物質界)から一歩も出ていなかったのではないか、少なくとも・・・・」という部分がとても気になったんです。
多分これは、非物質界に居るスーザンだからこそ感じられた事ではないかと思ったのですが、(非物質界では)瞬時に海へ行く事も山へ行く事も草原に行く事も出来ます。でも、草原を歩いていても実際にはスーザンはいま自分が居る場所から一歩も離れていないのです・・・・。
スーザン・ウエルズという名前の女性として物質界で暮す事もその一種だとしたら・・・・
つまり、スーザン・ウエルズという物質界の女性は、非物質界に居るスーザンが作り上げた人物で、それは非物質界でスーザンが作り上げる草原やテーブルや椅子や海辺の家と同じ事だとしたら・・・。
非物質界のスーザンは、自分の家から一歩も出る事無く、友人と一緒に海辺を散歩して夕日を見ながら友人と世間話をする事が出来ます。(そしてその友人は、海辺や夕日やレストラン同様に実はスーザンが作り上げた人物で、その友人は同時に他の場所で他の人と食事をしている事もあります)
同様に、3次元のスーザン・ウエルズは非物質界のスーザンの想念が造ったものだとすれば・・・・
だとすれば、非物質界のスーザンは一歩も家を出る事無く、3次元のスーザンウエルズの一生を経験する事が出来るはずです。
それも、何種類もの違った人生を同時に・・・・
子供の頃に、「今自分は夢を見ていて、いつかこの夢から醒めた時に、本当の現実に戻るのではないだろうか?」って思った事有りませんか?
いや、宿題を忘れた時とか運動会で一等賞を取れるはずだったのに転んでビリになってしまった時とかだけじゃなくて・・・・(笑)
普段、何気なくふと、そう思った事って無いですか?
僕はしょっちゅうそんな風に思っていました。多分小学生から中学生の頃にかけてだったと思います。
スーザンの言う「実は私は一歩も家から出ていなかったのではないか?」というのはそういう事じゃないかと(僕は)思うちゃうんです。
これって、家に居ながらフライトシュミレーター(ゲーム)で世界の空を飛ぶとか、ファイナルファンタジーの主人公になってる時とかと同じなんでしょうね。
どこかで失敗したら、また戻ってやり直せば良いし、選択に迷ったら一旦セーブしておいて両方の選択をやってみる事も出来ます。
3次元での人生って、ロールプレイのゲームに似てる・・・・って思っていたんですよねぇ・・・
あの世に居るスーザンが、「今思うと・・・・」と同じような事を言ってるって事は、やっぱりそうなのかも知れないとも感じてます。
なんとなく・・・ですが、『もしかすると』UFOにアダプションされて他の星へ行って来た人たちも、実は自宅から(地球から)一歩も離れていなくて、想念の世界で見てきただけという『可能性』も無きにしも非ずとも・・・・思っています。
(全てじゃなくて、そういう例もあるのではないかと・・・・)
そうそう、これも子供の頃からですが、「常にもう一人の自分がどこかでジッと自分を見てる」って妙な感覚を味わい続けていたんですが、同じような感覚を感じ続けていた人って居ます?
こっそり悪い事をした時とか、誰かに黙って内緒の何かをした時とかだけじゃなくて(笑)、学校に居ても、道を歩いていても、自転車のパンクを直していても、何をしていても、どこかに視線(というのか・・・・大きな視線・・・)を感じ続けていて、常に自分がもう一人の自分に見られている感覚・・・・。
これは、僕の場合は特に中学生前後に数年続きました。二十歳前後でもまだそれは感じ続けていましたけど、その頃は結構人生がめまぐるしかったので、あまり心に余裕が無く、10代前半の頃ほど頻繁に感じる事は無かったですが・・・。
スーザンにお会い出来たら、「そうだよねぇ♪」「俺も昔からそう思ってたんだけどさぁ・・・」とか「あぁ、やっぱりスーザンもそう思う?」とか、和気藹々と話が弾みそうな気がして、とても会ってみたい気はするんですけど、多分これを書いた頃の(カーターさんに書いてもらっていた頃の)スーザンはまだあっちに戻って間もない頃で、ご近所さん(同じ階層)には、自分が死んだ事を認識できていない人や、物質界が忘れられなくて物質界で暮していた頃と同じ家を創造し、そこから一歩も出ないような人も居る階層(まだ意識が混沌としている物質界に近い階層)のようですから、きっと今頃はもうそこから離れた遠い所(もう少し高い階層)に行ってしまっている様な気もします。
もうちょっと詳しく知りたいなと興味を覚えたのは、
「そして3000年にやってくる次の千年紀には、この世とあの世を隔てるカーテンが無くなり、思いの波動周波数を変えるだけでパッとあの世とこの世を自由に行き来できるのです。皆さんはもはや物理的に密度の濃い世界の囚人ではなくなります。私たちが「死」と呼ぶ移行によってあの世へゆく必要がなくなるのです」
”Looking forward to the ushering in of the next millennium in the year 3000, the veils between our realms will be gone and we will all be able to transfer back and forth between the earth and the afterlife by thinking of it and instantly adjusting our vibratory frequency. You will no longer be impprisoned in the physical density of your world. There will no longer be any necessity to go through the transition we call "death".
つまり、これは30世紀(2012年ではないです)には、物質世界と非物質世界の垣根が無くなり、自由に行き来が出来るようになる。という事ですよね。
これに対して最初に感じた疑問は「なぜ?」なんです。
「なぜそうなるのか?」というよりも、「なぜそんな事をするのか?」に近い疑問でした。
垣根が無くなってしまえば、わざわざこちら(物質世界)へ来ずに、ずっとあちら(非物質世界)に居ても良さそうなものです。
僕は、何らかの理由があるから、わざわざこの不便で制約だらけの物質世界で短い経験を繰り返しているのだと思うんですよ。
その制約が無くなったら(自由に行き来できるようになったら)、わざわざこの物質世界で何らかの経験をする効果が半減するのではないかと・・・そう思ってしまうんです。
(非物質世界に議会があるなら提案したいところです・・・・笑)
そして、「この物質世界が非物質世界からの投影であるなら(つまり、スーザンはあちらを離れる事無くこちらのスーザン・ウエルズの一生を体験する事が出来たわけですから)、それは単に物質世界に滞在中の個々の意識の問題であって、システム全体(物質世界と非物質世界の関係というシステム全体)の問題ではないのでは?」という疑問を持ってしまったんです。
それって、ある意味では期間限定の出向社員とか3年限定で海外駐在に行くようなもので、いつまでも現地に馴染まず頭は常に本社帰国後の事ばかり考えている効率の悪い転属と同じになってしまうような気がしてしまうんです。
(例があまりにも現実的:3次元的:ですが・・・・笑)
でも、数千年におけるデータ分析の結果、今のシステム(こちらにいる間は、あちらから完全に意識が切り離されている状態)では効果が薄いという結論が出たのかも知れませんね。
もしかすると、スーザンも書いていたように、あちらに戻った時に現場復帰出来ずにしばらく混乱期が続く人(魂)が出るのが支障になっているのかも知れないとも推測しています。
あちらに戻った時に、こちらの事ばかり懐かしんでこちらで住んでた家と同じ家を創造し、いつまでもふさぎ込んでいるような(中には、特別の復帰リハビリ階層へ送られるような)魂が続出されたんじゃ海外駐在(笑)も見直さなきゃならないですもんね・・・。
ただ、それ(こちらとあちらの垣根が無くなる)事による弊害も出るような懸念はあります。
(まぁ、別に僕はあちらの運営委員というわけではないんですが・・・笑)
別な見かたをすれば、ゲームに没頭して主人公になりきってしまうのではなく、時々「そろそろご飯ですよ!」「はーい」とか、「宿題済ませたの?」「いけねっ!」という『覚醒』も必要であるという事になるのでしょうね。
確かに、ゲームに没頭して主人公になりきって、本来の自分(現実の自分)を忘れ去ってしまうというのは、ある意味で危険な事と言えるような気もします。
