第99話 ソウルメイトの不思議
僕は決してソウルメイトのコンセプトを否定しているわけではありません。
なんだかとってもロマンチックでドラマがあって夢がある話だと思います。
ただ、やっぱりソウルメイトにはどうしても疑問を感じてしまうんですよ。
特に、どうしてソウルメイトは異性なのか?という部分が一番違和感があります。
確かに、前世で生き別れた息子と現世で回り逢えたとか、一緒に谷底へ落ちた親父に再会したというよりは、「死ぬほど愛し合っていたのに結ばれなかった彼女と現世でやっと回り逢った」方がずっとロマンチックで劇的ですよね。
ただ、よく考えると「それ(ソウルメイト探し)って、単に前世のカルマ(未練・執着)を引きづってるだけと違う?」って思っちゃうんですね。
それは、ある意味では「家来に裏切られて毒を盛られた将軍が、生まれ変わってからもいまだに自分に毒を持った家来の生まれ変わりを探し続けるのとどこが違うのかな?」って感じちゃうわけです。
勿論、生まれ変わってまで自分を毒殺した家来を探すってのは、全然ロマンチックでも夢のある話でも無くて、なんだか浮かばれない執念ドロドロでおどおどしい話ですが・・・(笑)
結局、ある意味ではどちらも「生前での出来事に執着心が強くて霊界へ旅立てない霊魂」と似てませんか?
その二つを一緒にしちゃいけないですか?
確かに、「それはそれ、これはこれ・・・」というのは、まぁそれでも良いとも思っています。
でも、最近のスピリチュアルとかニューエイジとか5次元とか非物質世界とかアセンションといった内容に、このロマンチックでドラマチックなソウルメイトコンセプトを混合してしまうと、より一層わけがわからなくなってしまうような気がするんですよ。
僕が、「それはそれ、これはこれという事でも良いと思う」と言ってるのは、決して皮肉でもなんでもなく、ソウルメイトコンセプトは現世の障害を取り除く為にとても有効だと思っているからなんです。
現世で心に何らかの障害があって(病的障害という意味ではなくて一種のトラウマのようなもの)どうしても人生が上手くいかない人とか、神経性の理由で体調を壊している人とかって結構沢山居ると思うんですね。
それらの人たちが、「これは前世のカルマだったんだ・・・・」と吹っ切れたり、「ソウルメイトにめぐり逢えてやっと自分らしさを取り戻す事が出来た!」という人はとっても多いと思います(どうやら、多いようです)
それは、薬を飲んだり占い師さんに高いお金を払ったり、新興宗教にのめり込むよりも、安全で効果的な方法だとは思うんです。
仮にその前世の話が思い込みであっても、自分の潜在意識が作り上げたストーリーだったとしても・・・・。
ある意味で、White lieと言うか、方便と言うか・・・。
それで何かが吹っ切れる人が居るなら、それをToolとして使う事は悪しからずと思うんです。
前世療法の多くは、施術師側からの無意識の誘導が被験者の潜在意識を誘導している場合が結構あるらしいです。
例えば、「いま、周りに何が見えますか?」と尋ねると、聞かれるまで被験者の意識には何も映像は浮かんでいなかったのに、何かの映像を心に映し出そうとしてしまう。
その時に被験者の意識に映し出されたのは『前世の記憶』ではなく、現世で自分が過去に潜在意識に埋め込んだ映像(昔見た映画とか、自分が空想した状況とか・・・まぁ、要は無意識に頭のどこかにうっすらしまっていた映像です。
「誰かそばに居ますか?」と尋ねると、その質問がきっかけで被験者が自分で作り上げたストーリーを語りだしてしまう(前世の記憶ではなく)・・・場合も多いと聞きます。
勿論、まったくピアノなんて弾いたことも無い人がまるでプロのようにピアノを弾き始めるとか、日本人が突然イタリア語を流暢に話し始めるとか、前世の記憶に違いないと思えるような行為を取る人も居るようです。
ただ、そのイタリア語を流暢に話す日本人が話す内容が彼(彼女)の前世だったかどうかは、何も保障が無いわけで・・・・。
何も保証が無いという言い方はおかしいのですが、前世は確かにイタリア人だったかも知れない・・・でも、その時に「突然、よその部落の男たちが我々の部落を襲撃して、妻と一緒に逃げ出したのだけれど、運悪く・・・・」というストーリーは、本当に彼の前世の記憶かどうかは難しいところだと思うんですよ。
勿論、疑ったらキリが無いのですが・・・・後天的に、現世で何か(映画、小説、聞いた話、夢)から潜在的に頭に残ったストーリーという『可能性』も充分にあるわけです。
だから、前世療法なんて意味が無いと言いたい訳ではないです。
それによって、現世で何らかの障害になっているものが取り除かれるのであれば、仮に『前世の記憶』が施術師の誘導であろうが、被験者の潜在意識であろうが、結果的にOKならそれでOKだと思います。
確かに、結果に注目した場合、ストーリーは相手が異性でロマンチックで劇的な方が、現世での障害を取り除く為には効果的だとも思います。
でもそれは、「本人にとって結果OKだと思う」という事であって、それを第三者が不特定多数の人に広める事やアセンションやら5次元上昇やらとひっくるめて捉えてしまう事にはとても強い違和感を感じています。
(単に僕がそう感じるというだけですから、「だからどうした」と言われると「いえ・・・別に・・・」という事になるのですが・・・)
つまり、世の中には「ソウルメイトを探し出す事こそがこの世に生まれた目的!」みたいに思い込んでしまう人やら、ソウルメイトが見つからない事は不幸な事、未熟者・・・みたいな感覚を覚えている人も徐々に増え始めているように見受けられます。
さらには、一目ぼれした相手には誰でも「ソウルメイトに違いない!」と入れ込んでしまったり、浮気や年の離れた恋を「ソウルメイトなんだから仕方ない」と自分への(無意識の)口実に使ったり・・・・。
これらの事は、悲しい事だと思うんです。
「ソウルメイトらしき相手がまだ見つからない・・・・」って、決して不幸な事でも人生の喜びが半減しているわけでもなくて、逆に前世のカルマ・しがらみ・未練・執着から解放されて自由に生きられる幸せな現世を与えられているんだと思えなくてはいけないと思うんですよ。
でも、いまのソウルメイト・ブームは、逆に必要の無いものを探し求める人を作ったり、幸せなのに不幸せだと感じさせてしまったりしている(少なくとも可能性がある)のではないかと感じちゃうんです。
第25話と第26話で、友人のサラさん(秀美さん)の結婚前と結婚後の実体験談が載ってますけど(全文本人からの文章)、「ここまで来ると、こりゃもうソウルメイトに間違いない!」って感じなんですけど、読んでお分かりのように、ご本人は全然「この人がソウルメイトぉぉぉ!」なんて感じも、「前世がピッタリ!」「運命の人だったんだぁ!!」なんて感じはなくて、「あらヤダ・・・前世でも恋人だったの?」というあっけらかんとした受け入れ方で、「前世での二人の事をもっと知ろう!」なんて雰囲気は感じないんですよね。
読んでいても「前世は前世、現世は現世・・・前にも恋人だったなんて不思議ねぇ・・・」なんて感じで肩の力がすっかり抜けて自然体なんです。
でも多くのソウルメイト関連のサイトを見ると、どうもどこかで力んでいるような、無理に探し出そうとしているような、妙な違和感を感じてしまうんです。
僕は、12話でも書いたように、複数の人たちから1年の間を隔てて「あなたの前世はインディアンのメディスンマン(シャーマン?)だった」と言われた事があります。
前世の記憶は全てが潜在意識からのストーリーとは言いません。
前世リーディングが理屈では説明出来ないほどピッタリ当てはまるようなケースも沢山あると思います。
例えば僕の12話も、別々の4人に1年の間を置いて同じ事を言われたって、偶然にしてはかなり確率が低い偶然だと思います。
でも、その時に感じたのは「だから?」でしか無いんですね。
前世がインディアンのシャーマンだからといって、僕の今の人生が何か変わるわけでもないし、前世の時は前世なりの目的が有って生きていたに違いないと思いますし、それは現世に生まれてきた理由とは違うと思うんです。
つまり、前世の人生の目的と現世での人生の目的は違うものだと思うし、そうあるべきだと思うんです。
でなければ、留年して同じ授業をもう一度受けている事になります。
そして、前世での恋人(伴侶)を現世でも捜し求めるって・・・確かに劇的でロマンチックだけど、『肉体を持って生まれたこの短い人生は魂の修行の場』って観点で見ると、それ(前世の恋人探し)って・・・・なんかちょっと悲しいものがあるような気もしてきます。
仏教では煩悩と言うようですけど、現世だけでも滅しきれない煩悩が山積みされているというのに、生まれ変わって新しい人生を学ばなくてはいけない時に、更に前世の異性にまで執着し固執し続けるのって・・・これじゃ精神的な次元上昇なんて到底望めない気もするんです。
(とりあえず「次元上昇って何か?」って話は置いておいて)
だから、次元上昇やアセンションを推進している同じ人が、ソウルメイト探しを推進するって・・・ちょっと矛盾しているように(僕は)感じちゃうんです。
それともうひとつは、現世・前世に固執した考え方は、3次元の物質世界(人間として肉体を持って暮す短い期間)を主とした考え方だと思えるんです。
あくまで本来の魂の居場所は非物質界(現世と前世の間)であって、人間として肉体を持って暮している間(現世、前世、来世)は仮の姿だと捉えた場合(僕はそう思っています)、前世で憎んでも憎みきれないほど憎い相手や、死ぬほど愛した相手、生き別れた親父、死に目に会えなかった娘・・・というのは、物質界へ短期の出張修行で与えられた課題でしかないと思うんです。
そして、その時(前世)に心に残ったトラウマ(心の障害、執着感など)は、自分本来の地(非物質界、前世と現世の間)に戻った時に、自分自身で解決(解消)しなくてはいけない問題だと思うんです。
非物質界に『戻った』時に、物質界での経験を忘れられず執着してしまい、非物質界に社会復帰出来ない状態が続くと、「仕方ない・・・もう一度物質界へ行って気持ちに決着を付けて来い」と、一種の社会復帰リハビリをさせられている状態のような気すらするんですよ。
『ソウル』・メイトとは言っても、実際には『前世の恋人』を探している人が非常に多いわけですよね。
でなければ、前世療法とか前世リーディングなんて必要ないわけで・・・
本当の意味での『ソウル』メイトを探すには、前世(物質界)ではなくて、非物質界でのメイトを探すべきなのではないかと思うんです。
そしてその『メイト』には性別は無い・・・ですよね・・・肉体を持たない非物質界のソウル同士なわけですから・・・・
非常に乱暴な言い方をすると、現世でソウルメイトに出会う人、ソウルメイトに出会う必要のある人というのは、前世を終えて非物質界に戻った時に、物質界での執着が強過ぎて非物質界へ社会復帰出来なかった人が、リハビリの為に送られている・・・・つまり、非物質界復帰落第生とも言えてしまうような気すらしています。
先に書いた、生前の事柄に執着して霊界へ旅立てない霊魂が浮遊霊と呼ばれるモノだとしたら、とりあえず霊界へは行ったもののやっぱり前世(生前)の何かへの強い執着心が残っていて、もう一度人間をやり直しているって言えるかも知れません。
(強い執念で霊界へ行けない浮遊霊とソウルメイト探しを一緒にするなって?・・・・すみません)
その、物質界への執着が強くてリハビリで物質界へ戻された人が『5次元上昇のアセンション』の波に乗るのは、人の何倍もの努力(物質界への執着心をそぎ落とす)しなくてはいけないような気がするんです。
だから、「ソウルメイトと出会って本当の幸せを手に入れましょう」と「近いアセンションへ向けて、一緒に5次元上昇しましょう」を同時に提唱している人ってちょっと(僕には)矛盾を感じてしまうんですよ。
めちゃくちゃ乱暴な言い方で、不快感を覚える人が居たら(多いかも・・・汗)すみません。
でも、どっかで一理あると思いませんか?
勿論、ソウルメイト推進者の方々には沢山の異議異論があると思います。
非難轟々かも知れません。
でも、本当にアセンションとか5次元上昇とか言われているものが近づいているのだとしたら、もう一度ソウルメイトの捉え方についても考え直してみませんか?
